航海法とは、一般に、17世紀のイングランドが自国の海運業や貿易を保護するために制定した一連の法令を指します。
英語では「Navigation Acts」と呼ばれ、日本語では「航海法」「航海条例」「航海条令」などと訳されます。
特に有名なのが、イングランド共和国期に制定された1651年の航海条例です。
その後、1660年以降にも関連する法律が整備され、イングランド本国と植民地の貿易を統制する制度へと発展しました。
なお、歴史上の航海法は、船舶の衝突を防ぐための航行ルールではありません。
どの国の船が商品を運べるか、植民地がどの国と貿易できるかなどを定めた、貿易・海運政策上の法制度です。
航海法が制定された背景
17世紀は海上貿易が国力を左右した
17世紀のヨーロッパでは、アジア、アフリカ、南北アメリカとの貿易が拡大していました。
香辛料、砂糖、タバコ、綿花、染料、貴金属などの交易によって大きな利益を得られたため、各国は海外市場や植民地、海上輸送ルートの確保を重視していました。
当時は、国家が貿易を管理し、自国に富を蓄積しようとする重商主義が広く採用されていました。
重商主義では、主に次のような政策が取られます。
- 輸出を増やす
- 輸入を制限する
- 自国の産業や商人を保護する
- 植民地との貿易を本国が管理する
- 自国の商船や海軍を強化する
航海法は、このような重商主義政策を代表する制度の一つです。
オランダが海上輸送で優位に立っていた
17世紀前半のオランダは、ヨーロッパの海上貿易で大きな力を持っていました。
オランダ船は、自国の商品を運ぶだけでなく、他国の商品を別の国へ運ぶ中継貿易でも多くの利益を得ていました。
イングランドの商品や植民地の物資についても、オランダ船が輸送を担当することがありました。
そのため、イングランド側から見ると、自国の貿易による輸送利益がオランダへ流れている状況でした。
そこでイングランドは、オランダが得意としていた中継輸送を制限し、自国の船舶を優先的に利用させようとしました。
1651年航海条例の主な内容
輸入に使用できる船舶を制限した
1651年の航海条例では、イングランドへ商品を輸入する際に使用できる船舶が制限されました。
基本的には、次のいずれかの船で商品を運ぶことが求められました。
- イングランド船
- 商品の生産国や原産国に属する船
例えば、フランスで生産された商品をイングランドへ運ぶ場合には、イングランド船またはフランス船を使用するという考え方です。
これにより、商品とは直接関係のない第三国の船が中継輸送を行い、利益を得ることが難しくなりました。
特に大きな影響を受けたのが、第三国間の輸送を広く担っていたオランダです。
オランダ船を全面禁止した法律ではない
航海法については、「オランダ船をイングランド貿易から完全に排除した法律」と説明されることがあります。
しかし、厳密には、すべてのオランダ船を一律に禁止したわけではありません。
オランダ産の商品をオランダ船が運ぶことまで、あらゆる場合に禁止した制度ではなく、主にオランダが得意としていた第三国商品の中継輸送を制限するものでした。
そのため、「オランダ船を完全に排除した」というよりも、「オランダによる仲介貿易を大幅に制限した」と表現するほうが正確です。
船舶の所有者や船員にも条件が設けられた
航海法制では、単に船の国籍だけでなく、船舶の所有者や乗組員の構成についても条件が定められました。
ただし、具体的な規制内容は1651年の航海条例と、1660年以降の法律で異なります。
そのため、航海法は一度の制定で完成した法律ではなく、複数の法令によって段階的に整備された制度として理解する必要があります。
1660年代に強化された植民地貿易の規制
航海法制は王政復古後も継続された
1651年の航海条例は、イングランド共和国期に制定されました。
その後、1660年に王政復古が行われましたが、航海法制は廃止されず、むしろ新たな法律によって再編・強化されました。
1660年、1662年、1663年などに関連法令が制定され、イングランド本国と植民地の貿易を管理する制度が整えられていきました。
植民地貿易をイングランド船中心にした
航海法制のもとでは、イングランドと植民地の間の輸送について、イングランド船または植民地船の使用が求められるようになりました。
これにより、植民地貿易による輸送利益を外国の海運業者ではなく、イングランド側に残す仕組みが作られました。
その結果、イングランドの商船、造船所、港湾、船員、海上保険など、海運に関連する産業の成長が後押しされました。
特定の植民地産品の輸出先を制限した
植民地で生産されたすべての商品が同じ規制を受けたわけではありません。
タバコや砂糖など、法律で指定された特定の商品については、原則としてイングランド本国またはイングランドの支配下にある地域へ輸送することが求められました。
このような商品は、一般に「列挙品」と呼ばれます。
列挙品制度によって、イングランドは植民地産品の流通を管理し、関税収入や仲介利益を得やすくなりました。
ヨーロッパの商品を本国経由にした
植民地がヨーロッパの商品を輸入する場合にも、イングランド本国を経由させる仕組みが整えられました。
これにより、イングランドの商人や港湾が植民地貿易の中心となり、植民地が外国と直接取引することは難しくなりました。
航海法の主な目的
イングランドの海運業を保護する
航海法の最も直接的な目的は、外国船による輸送を制限し、イングランド船の利用を増やすことでした。
イングランド船の需要が高まれば、造船業や船員の雇用、港湾業務などの発展が期待できます。
航海法は、国内の海運業を保護・育成する産業政策としての性格を持っていました。
オランダの中継貿易を抑える
当時のオランダは、他国の商品を運ぶ中継貿易で大きな利益を得ていました。
航海法は、商品の原産国またはイングランドの船に輸送を限定することで、オランダ船が第三国の商品をイングランドへ運ぶ機会を減らしました。
そのため、航海法には、オランダの海上貿易上の優位を弱める狙いがあったと考えられています。
植民地貿易を本国が管理する
イングランドは、植民地を原材料の供給地であると同時に、本国製品の販売市場として利用しようとしました。
植民地が外国と自由に貿易すると、輸送利益や関税収入が他国へ流れる可能性があります。
そこで航海法制によって、植民地の輸出先や輸送方法、輸入経路を管理しました。
商船隊と海軍力を強化する
商船隊の拡大は、軍事面でも重要でした。
商船で働く船員は、戦争時に海軍の人材として活用できます。
また、造船所や港湾施設の発達は、軍艦の建造や修理にも役立ちます。
そのため、航海法は経済政策であると同時に、安全保障政策としての側面も持っていました。
航海法と英蘭戦争の関係
航海法は英蘭対立を深めた
1651年の航海条例は、オランダの中継貿易に大きな影響を与える内容でした。
イングランドは自国の海運業を保護しようとし、オランダは重要な収入源である海上輸送を守ろうとしました。
このような経済的対立は、イングランドとオランダの関係を悪化させる要因となりました。
英蘭戦争の唯一の原因ではない
航海法は第一次英蘭戦争の重要な背景の一つですが、戦争の原因を航海法だけで説明することはできません。
両国の対立には、次のような要因も関係していました。
- 海上貿易をめぐる競争
- 植民地の獲得競争
- 漁業権をめぐる対立
- 海軍力の競争
- 外交上の対立
- 船舶の拿捕や臨検をめぐる問題
- 海上での敬礼をめぐる問題
したがって、航海法は英蘭戦争の原因そのものというより、戦争へ向かう対立を深めた要因の一つと捉えるのが適切です。
航海法がイングランドにもたらした影響
商船や造船業の発展を後押しした
外国船の利用が制限されると、イングランド船を利用する必要性が高まります。
その結果、商船の建造、船員の雇用、港湾施設の整備などが促進されました。
ただし、イングランドの海運業が航海法だけによって発展したわけではありません。
金融市場、海上保険、造船技術、植民地の拡大、海軍政策など、さまざまな要因が関係しています。
そのため、航海法は海運業の発展を「生み出した」というよりも、「政策的に後押しした」と考えるほうが適切です。
本国と植民地の経済的な結び付きが強まった
航海法制によって、植民地の原材料が本国へ運ばれ、本国の商品が植民地へ販売される仕組みが形成されました。
これにより、イングランド本国と植民地は、一つの経済圏として強く結び付けられていきました。
イングランド側は、輸送利益、関税収入、仲介利益、商品販売による利益などを得やすくなりました。
海洋国家としての基盤形成に寄与した
航海法は、商船、造船、港湾、船員、保険、金融といった海運関連分野の発展を支える政策の一つでした。
こうした分野の成長は、後のイギリス海軍の強化や世界貿易の拡大にもつながりました。
ただし、イギリスが海洋国家として発展した理由は航海法だけではなく、産業革命や国家財政制度、植民地政策なども大きく関係しています。
航海法の問題点
植民地の自由な貿易を制限した
航海法制のもとでは、植民地は自由に貿易相手を選びにくくなりました。
より高い価格で商品を購入する国があっても、その国へ自由に輸出できない場合があります。
また、より安い外国商品があっても、本国を経由しなければ輸入できないことがありました。
そのため、植民地側からは、本国の利益を優先する不公平な制度と受け止められることがありました。
商品価格や輸送費が高くなる可能性があった
外国船との競争が制限されると、輸送業者の選択肢が少なくなります。
競争が弱まれば、輸送費や商品の価格が上昇する可能性があります。
航海法は国内の海運業者には有利でしたが、商人や消費者にとっては負担となる場合がありました。
密貿易を招いた
貿易規制が厳しくなると、規制を避けて外国商人と取引する動きも生まれます。
植民地では、正式な手続を通さない密貿易が行われました。
航海法を実効的に運用するためには、税関や海軍、港湾当局による監視が必要でした。
外国との対立を激化させた
航海法は、自国の商船や商人を保護する一方で、外国の海運業者が貿易に参加する機会を減らす制度でした。
そのため、オランダをはじめとする外国との通商摩擦を生みやすく、国際対立を深める要因にもなりました。
航海法とアメリカ独立の関係
植民地住民の不満を高めた
北アメリカのイングランド植民地では、航海法制によって自由な貿易が制限されていました。
植民地の商人にとっては、取引相手や輸送方法を本国に決められることが不満の原因となりました。
航海法をはじめとする本国の貿易規制は、後のアメリカ独立につながる経済的背景の一つになったと考えられています。
独立の原因は航海法だけではない
アメリカ独立には、航海法以外にも多くの原因がありました。
代表的なものとしては、課税をめぐる問題、植民地議会とイギリス議会の権限対立、植民地住民の自治意識の高まりなどが挙げられます。
したがって、航海法だけがアメリカ独立を引き起こしたわけではありません。
航海法はいつ廃止されたのか
19世紀に自由貿易へ転換した
18世紀末から19世紀にかけて、イギリスでは産業革命が進み、自由貿易を重視する考え方が強まりました。
工業力で優位に立ったイギリスにとっては、外国船や外国商品を制限するよりも、各国の市場を開放して自国の商品を輸出しやすくするほうが有利になったためです。
1849年に廃止法が成立した
航海法の主要な規制を撤廃する法律は、1849年に成立しました。
ただし、法律が成立した年と、実際に施行された年は区別する必要があります。
主要な廃止措置は、1850年1月1日から施行されました。
そのため、「航海法は1849年に廃止された」と説明されることが多いものの、より正確には、1849年に廃止法が成立し、1850年から施行されたと表現するのが適切です。
また、航海法制に含まれるすべての規制が同時に消滅したわけではなく、一部の制限はその後も残りました。
現代の航海ルールとの違い
歴史上の航海法は貿易規制である
歴史上の航海法が扱っていたのは、主に次のような問題です。
- どの国の船が商品を運べるか
- 植民地がどの国と貿易できるか
- 特定の商品をどこへ輸出できるか
- 商品をどの港から運ぶか
- 海上輸送の利益を誰が得るか
つまり、歴史上の航海法は、船の運航技術や衝突防止を定めた法律ではなく、国家の貿易政策を実現するための法制度です。
現代の航海ルールは安全な交通を目的とする
現代の船舶航行に関する法律は、船同士の衝突防止、港内の交通整理、混雑海域の安全確保などを目的としています。
同じ「航海」という言葉を含みますが、歴史上の航海法とは目的も内容も異なります。
現代日本に「航海法」という法律はあるのか
現行の日本法には、正式名称を単に「航海法」とする基本法はありません。
「航海法」という言葉が、広い意味で船舶航行に関する法規を指す場合はありますが、実際の海上交通ルールは複数の法律に分けて定められています。
船舶の航法や海上交通に関する主な法律は、次の3つです。
- 海上衝突予防法
- 海上交通安全法
- 港則法
これらは一般に「海上交通三法」と呼ばれます。
海上衝突予防法とは
船舶同士の衝突を防ぐ基本法
海上衝突予防法は、船舶同士の衝突を防ぐための基本的な航法を定める法律です。
一般の海域で船舶がどのように航行すべきかを規定しており、国際的な海上交通ルールである国際海上衝突予防規則に基づいています。
主な内容は次のとおりです。
- 適切な見張り
- 安全な速力
- 衝突のおそれの判断
- 追越し船の航法
- 行会い船の航法
- 横切り船の航法
- 狭い水道での航法
- 灯火や形象物
- 音響信号
- 遭難信号
行会い船の基本ルール
2隻の動力船が、互いに真向かいまたはほとんど真向かいに接近する場合、原則として双方が右へ針路を転じます。
これにより、互いに相手船を左舷側に見ながら通過します。
ただし、具体的な避航方法は、視界の状態、海域、船舶の種類、操縦性能などによって異なる場合があります。
海上交通安全法とは
船舶交通が集中する海域に適用される
海上交通安全法は、東京湾、伊勢湾および瀬戸内海のうち、法律で定められた海域における船舶交通の安全を確保する法律です。
これらの海域は大型船や貨物船などが集中しやすく、一般海域よりも特別な交通整理が必要になります。
航路内の特別なルールを定める
法律で指定された航路では、主に次のような規制が設けられています。
- 航路を航行する義務
- 航路内での速力に関する規制
- 追越しや横断に関する制限
- 航路への出入りに関するルール
- 航行予定に関する事前通報
- 危険防止のための待機指示
- 工事や作業に関する許可・届出
巨大船などが対象航路を航行しようとする場合には、航行予定時刻や船舶情報を事前に通報する義務が課されることがあります。
ただし、すべての大型船に全国一律で通報義務があるわけではなく、対象となる航路や船舶の条件が法令で定められています。
港則法とは
港内の安全と秩序を守る法律
港則法は、港内における船舶交通の安全と、港内の秩序を維持するための法律です。
港の中には、入出港する船舶、停泊船、漁船、作業船などが集中します。
また、防波堤や岸壁などによって航行できる場所が限られています。
そのため、一般の海域とは異なる港内特有のルールが必要です。
港や行為に応じた規制がある
港則法では、港や船舶、行為の種類に応じて、主に次の事項が定められています。
- 入出港に関する届出
- 港内での航法
- 航路内での停泊制限
- 危険物の荷役
- 船舶の修繕や係留
- 港内での工事や作業
- 火災や海難が発生した場合の措置
- 港長による許可や指示
なお、すべての港で同じ手続が求められるわけではありません。
特定港に限って適用される許可や届出制度もあります。
航海法と海商法の違い
航海法は国家の貿易政策を扱う
歴史上の航海法は、自国の船舶や商人を保護し、植民地貿易を本国が管理するための法制度でした。
主に国家と外国船、国家と植民地の関係を扱います。
海商法は海上取引の権利義務を扱う
海商法は、船舶を利用した商取引や海上運送に関する法分野です。
主に次のような問題を扱います。
- 海上運送契約
- 船舶所有者の責任
- 船長の権限
- 船舶衝突による損害賠償
- 共同海損
- 海難救助
- 船荷証券
- 運送品の損害
海上保険も海商法と密接に関係しますが、日本では保険契約一般について保険法の規定も適用されます。
航海法と海洋法の違い
海洋法は海域に関する国家の権利を扱う
一般に国際法上の海洋法は、海における国家の権利や義務を定める法分野です。
代表的な内容には、次のものがあります。
- 領海
- 接続水域
- 排他的経済水域
- 大陸棚
- 公海
- 国際海峡
- 無害通航権
- 海洋資源の利用
- 海洋環境の保護
歴史上の航海法が貿易や海運の保護を目的としていたのに対し、海洋法は国家が海域をどのように利用し、どのような権利や義務を持つかを扱います。
航海法を簡単に説明すると
航海法とは、17世紀のイングランドが、外国船による中継貿易を制限し、自国の海運業や植民地貿易を保護するために制定した一連の法令です。
特に1651年の航海条例は、オランダが得意としていた仲介貿易を制限する性格を持っていました。
その後、1660年代以降に制度が強化され、植民地の商品や輸送経路をイングランド本国が管理する仕組みへと発展しました。
航海法は、イングランドの商船や造船業の発展を後押しする一方で、オランダとの対立や植民地側の不満を強める要因にもなりました。
なお、現代日本で船舶の進路、灯火、音響信号、港内航行などについて調べる場合は、歴史上の航海法ではなく、海上衝突予防法、海上交通安全法、港則法などを確認する必要があります。
以上、航海法についてでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
















