潜水艦のセイル(sail)とは、船体上部に突き出している流線形の構造物です。
潜水艦の写真を見ると、細長い船体の中央付近から縦に立ち上がった「背びれ」のような部分がありますが、これがセイルです。
セイルは単なる飾りや見張り台ではありません。
潜望鏡や各種センサーマスト、通信アンテナなどを配置・支持する役割を持ち、艦型によっては水上航行時に使用する艦橋や潜舵とも関係する重要な構造です。
なお、セイルはしばしば「司令塔」と呼ばれることがありますが、厳密には同じものではありません。
特に現代の潜水艦を理解する場合は、セイルと司令塔を区別して考えることが重要です。
セイルは潜水艦のどこにあるのか
セイルは、基本的に潜水艦の耐圧船殻の上部に設けられています。
多くの潜水艦では船体中央付近、あるいは中央よりやや前方に配置されています。
水中を航行する潜水艦では、船体表面の凹凸をできるだけ少なくすることが理想です。
それでもセイルが設けられているのは、潜水艦が海面付近や水上で周囲を観測したり、通信したりするために必要な設備を配置する必要があるためです。
セイルの形状や位置、大きさは潜水艦によって異なります。
搭載するマストやセンサー、艦の運用方法、設計年代などによって、細長いものから比較的大型のものまでさまざまです。
セイルにはどのような役割があるのか
セイルには、潜水艦の運用に欠かせない複数の役割があります。
代表的なのが、潜望鏡や各種マスト類の配置・支持です。
潜望鏡やセンサーマストを配置する
潜水艦は深く潜航している状態では、通常の艦艇のように直接周囲を見ることができません。
そのため、必要に応じて海面付近まで上昇し、潜望鏡やセンサーマストを水面上へ出して周囲を確認します。
従来型の潜望鏡では、長い光学筒を使って海面上の映像を艦内まで導いていました。
一方、現代の潜水艦では、カメラや赤外線センサーなどを搭載したフォトニクス・マストやオプトロニクス・マストを採用する例もあります。
このような電子式のマストでは、取得した映像を電子データとして艦内へ送ることができます。
そのため、従来型潜望鏡のように光学筒を艦内の指揮区画まで直接つなげる必要がありません。
通信アンテナやレーダーを使用する
潜水艦では、司令部や友軍との通信も必要です。
そのため、セイル周辺には通信アンテナや各種通信マストが配置されます。
また、艦型によってはレーダーマストも装備されています。
水上航行時や海面付近で周囲の船舶などを確認する際に使用されます。
ただし、潜水艦は自らの位置を知られないことが重要です。
電波を発信すると相手に存在を察知される可能性があるため、レーダーや通信装置は状況に応じて慎重に使用されます。
電子戦関連の装置を配置する
潜水艦には、周囲で使用されている電波を探知する電子支援装置などが搭載される場合があります。
例えば、周囲の艦艇や航空機が使用しているレーダー電波を受信することで、相手の存在や方向を判断する手掛かりになります。
こうした装置のアンテナやマストも、セイル周辺に配置されることがあります。
セイルと潜望鏡の関係
潜水艦というと、セイルから潜望鏡が伸びている姿を想像する人も多いでしょう。
実際、潜望鏡やそれに代わるセンサーマストはセイルと密接な関係があります。
ただし、セイルそのものが潜望鏡というわけではありません。
セイルは、潜望鏡や各種マストを配置・支持するための上部構造です。
実際の機器やその作動機構は、耐圧船殻内部までつながっている場合があります。
そのため、「セイルの中にすべてのマスト装置が収納されている」と単純に考えるよりも、セイルは各種マストを通したり支えたりするための構造でもあると理解した方が正確です。
現代の潜水艦では潜望鏡がない場合もある
現代の潜水艦では、従来型の光学潜望鏡を使用しない設計も存在します。
代表的なのが、フォトニクス・マストです。
フォトニクス・マストとは
フォトニクス・マストは、可視光カメラや赤外線カメラなどを搭載した電子式の観測装置です。
従来の潜望鏡では、光学系を通して艦内へ直接映像を届ける必要がありました。
これに対してフォトニクス・マストでは、取得した映像を電子信号として艦内のディスプレイへ送ります。
この方式には、艦内レイアウトの自由度を高められるという利点があります。
指揮区画を潜望鏡の真下に配置する必要がなくなるためです。
米海軍のヴァージニア級原子力潜水艦などでは、従来型の光学潜望鏡に代えてフォトニクス・マストが採用されています。
セイルと司令塔の違い
潜水艦のセイルについて最も誤解されやすいのが、「セイル=司令塔」という認識です。
日常的には潜水艦上部の構造物をまとめて司令塔と呼ぶことがあります。
しかし、厳密にはセイルと司令塔は異なるものです。
司令塔とは
司令塔は英語で「conning tower」と呼ばれます。
歴史的な潜水艦では、耐圧構造を持つ小さな区画が船体上部に設けられ、そこに操艦や指揮に関係する設備が配置されていました。
その司令塔の周囲を、抵抗を減らすための流線形の外装で覆ったものが「fairwater」です。
米海軍の歴史資料では、この部分を「conning tower fairwater(sail)」と表現している例があります。
つまり歴史的には、
司令塔=耐圧構造を持つ内部区画
セイル/フェアウォーター=その周囲を覆う流線形の外部構造
という関係にありました。
現代潜水艦では指揮所は船体内部にある
現代の潜水艦では、操縦や戦闘指揮を行う主要な区画は、基本的に耐圧船殻内部にあります。
そのため、現代潜水艦の外側に見えるセイル全体を「司令塔」と呼ぶと、構造上は誤解を招く可能性があります。
分かりやすく整理すると、
セイル=船体上部にある外部構造
指揮所=基本的に耐圧船殻内部にある操縦・戦闘指揮区画
という違いがあります。
セイルと艦橋の違い
セイルと艦橋も同じものではありません。
艦橋とは、主に水上航行時に見張りや操艦を行うための場所です。
水上航行時にはセイル上部を使用することがある
潜水艦が港へ入出港するときなどには、乗員がセイル上部やその周辺に出て周囲を確認することがあります。
潜水艦の入港映像などで、セイルの上に複数の乗員が立っている姿を見ることがあります。
これは、水上航行時の見張りや操艦、接岸作業などを行っている場合があります。
ただし、艦橋の位置や構造は潜水艦によって異なります。
したがって、「セイルそのものが艦橋である」と考えるのは正確ではありません。
セイルの上部またはその周辺に、水上航行時に使用する艦橋位置が設けられる艦があると理解するとよいでしょう。
通常動力型潜水艦ではシュノーケルにも関係する
ディーゼル・エレクトリック方式などの通常動力型潜水艦では、シュノーケルと呼ばれる装置が使用されることがあります。
シュノーケルとは
シュノーケルは、潜水艦が海面直下を航行しながら外気を取り入れるための設備です。
通常動力型潜水艦では、ディーゼルエンジンを運転するために空気が必要です。
そのため、シュノーケルを水面上へ出して吸気し、ディーゼルエンジンを運転してバッテリーを充電します。
シュノーケルマストは、艦型によってセイル周辺に配置されることがあります。
一方、原子力潜水艦では原子炉を利用して水中で長時間航行できるため、通常動力型潜水艦のように推進用ディーゼルエンジンを運転するためのシュノーケルを常用する必要はありません。
セイルに潜舵が付いている潜水艦もある
潜水艦の写真を見ると、セイルの左右から翼のような板が張り出している場合があります。
これは、潜水艦の姿勢や深度を制御するために使用される潜舵の一種です。
セイルプレーン
セイル部分に取り付けられている潜舵は、一般にセイルプレーンやフェアウォータープレーンなどと呼ばれます。
水流を利用して潜水艦のピッチ姿勢や深度を調整する役割があります。
バウプレーン
潜舵をセイルではなく船体前部に配置する方式もあります。
船首付近に取り付けるため、バウプレーンと呼ばれます。
潜水艦によって、
- セイルプレーンを使用する艦
- バウプレーンを使用する艦
- 折り畳み式の潜舵を採用する艦
などがあり、設計思想によって配置は異なります。
セイルは水中抵抗を増やす要因にもなる
潜水艦の船体は、水中での抵抗や騒音を減らすため、できるだけ滑らかな形状に設計されています。
その中でセイルは、船体表面から大きく突出している構造物です。
そのため、水中航行性能の面では一定のデメリットがあります。
セイル周辺では水流が乱れる
水中を航行すると、セイルの周囲では水流が大きく変化します。
その結果、
- 流体抵抗の増加
- 渦の発生
- 乱流
- 圧力変動
- 流体騒音への影響
などが生じる可能性があります。
潜水艦では静粛性が極めて重要です。
そのため、セイルも単純な箱形ではなく、水流をできるだけ滑らかに受け流せるよう流線形に設計されています。
セイルはステルス性能とのトレードオフになる
セイルは潜水艦に必要な構造ですが、水中性能だけを考えれば突出物は少ない方が有利です。
そのため、セイルは潜水艦設計における一種のトレードオフといえます。
セイルが必要な理由
セイルには、
- 潜望鏡やセンサーマストの配置
- 通信アンテナの配置
- レーダーマストの配置
- 水上航行時の見張り
- 艦型によっては潜舵の支持
など、さまざまな役割があります。
一方で、水中では突出部が抵抗や流れの乱れを増加させます。
そのため設計者は、必要な機能を確保しながら、可能な限り水中抵抗や流体騒音への影響を小さくする必要があります。
「セイルは潜水艦の弱点」と単純に表現するよりも、必要性と水中性能を両立させるための設計上のトレードオフとなる構造と考える方が正確です。
潜水艦によってセイルの形が違う理由
潜水艦を見比べてみると、セイルの形状や大きさがかなり異なることが分かります。
これは、潜水艦ごとに求められる機能や運用環境が違うためです。
搭載するマストやセンサーが違う
潜水艦によって、
- 潜望鏡
- フォトニクス・マスト
- レーダー
- 通信アンテナ
- 電子支援装置
- シュノーケル
などの構成が異なります。
搭載する設備が変われば、それらを配置・支持するセイルの設計も変わります。
運用環境も影響する
潜水艦がどの海域で使用されるかも重要です。
例えば、北極海など氷が存在する海域で活動する潜水艦では、浮上時に氷へ接触する可能性も考慮して構造を設計する必要があります。
このように、セイルの大きさだけを見て「新しい艦ほど小さい」「大きい方が高性能」などと判断することはできません。
現代の潜水艦では、必要な機能を確保しつつ、水中抵抗や音響上の影響をできるだけ抑えることが重視されています。
ソナーは基本的にセイルではなく船体側に配置される
潜水艦の重要なセンサーの一つがソナーです。
しかし、主要なソナーがセイル内部にまとめて配置されているわけではありません。
艦首ソナー
多くの潜水艦では、船体前方に大型のソナーアレイが搭載されています。
潜水艦は音を利用して周囲の艦船や潜水艦などを探知するため、ソナーは極めて重要な装備です。
側面アレイや曳航式ソナー
艦型によっては、船体側面にソナーアレイを配置したり、船体後方から曳航式ソナーを展開したりします。
そのため、
セイル周辺=潜望鏡・通信・電波・光学センサーなどのマスト類
船体側=主要な水中音響センサー
というイメージで整理すると理解しやすくなります。
ただし、実際のセンサー構成や配置は潜水艦ごとに異なるため、これはあくまで一般的な整理です。
セイルという名前の意味
英語の「sail」は、一般には「帆」を意味する単語です。
潜水艦の上部構造についても「sail」という名称が使われていますが、当然ながら潜水艦がこの構造に風を受けて航行するわけではありません。
潜水艦の推進とは直接関係のない名称です。
日本語では、セイルのほか、
- 艦橋構造物
- 上部構造物
- 司令塔
などの表現が使用される場合があります。
ただし、「司令塔」は歴史的・構造的にはセイルと完全に同じものではないため、現代潜水艦について説明する場合は「セイル」と呼ぶ方が正確です。
セイル・司令塔・艦橋の違い
潜水艦上部の構造は名称が混同されやすいため、整理しておきましょう。
セイル
潜水艦の耐圧船殻上部に設けられた流線形の外部構造です。
潜望鏡や各種センサーマスト、通信アンテナなどを配置・支持し、艦型によっては艦橋位置や潜舵とも関係します。
司令塔
英語ではconning towerと呼ばれます。
特に歴史的な潜水艦で使用された、耐圧構造を持つ指揮・操艦区画です。
外側のセイルやフェアウォーターとは厳密には別の構造です。
艦橋
主に水上航行時に、周囲を確認しながら見張りや操艦を行う場所です。
潜水艦によってはセイル上部やその周辺に艦橋位置が設けられています。
潜水艦のセイルは重要な上部構造物
潜水艦のセイルは、船体の上に付いている単なる塔ではありません。
潜望鏡やフォトニクス・マスト、通信アンテナ、レーダーなどを配置・支持し、潜水艦が海面付近や水上で外部の情報を得るために重要な役割を果たしています。
一方、船体から突出しているため、水中では抵抗や水流の乱れを生み出す要因にもなります。
そのため、必要な機能を維持しながら水中性能や静粛性への影響を抑えられるよう、流体力学的に形状が工夫されています。
また、セイル・司令塔・艦橋は厳密にはそれぞれ異なるものです。
現代の潜水艦について理解する場合は、
セイルは耐圧船殻上部の流線形構造物
司令塔は特に歴史的潜水艦で見られた耐圧構造の指揮区画
艦橋は水上航行時に見張りや操艦を行う場所
と区別すると分かりやすいでしょう。
潜水艦の外観を見る際には、セイルの大きさや形、潜舵の位置、マストの構成などに注目すると、その潜水艦がどのような設計思想で作られているのかも見えてきます。
以上、潜水艦のセイルとはどのようなものかについてでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
















